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SD review 2010

Category: NOTEBOOK — Posted by SA at September 27, 2010

ヒルサイドフォーラムで開催されていたSDレビュー展に行って来ました。

SDレビューの面白い所は実施を前提とした案件のドローイングと模型で表現をするという点で、禅問答に近いような純度のアンビルドのプロジェクトの展覧会よりもいくぶん泥臭さが強い。

建築・環境・インテリアの分野であれば、本来ボーダーレスに応募できる開かれたものなのですが、15点の入選作品のうち、内部空間をほとんど表現されてないものは2案しかありませんでした。逆に、ランドスケープデザインの領域に近い物も2(or 3)案程。もちろん、この数字は僕の解釈なので人によっては前後するでしょうが、傾向としては「複雑で高密度な内部空間形成のためのレールをどうやって敷いたか」を見せてくれる展示が多く印象に残りました。
しかも実施前提のものなので、かなりのリアリティを持って建築家やデザイナーの意志が迫って来るのを感じます。

実際、建築程「コンセプトモデル」と「実現形」の乖離が激しい分野の創作分野を僕は知りません。スケールという概念がこの乖離を産み、正統化する免罪符にもなっている。勿論そこは、建築の面白さの一面でもあるわけです。
人間が一度に知覚できる領域は個人差はあるものの結構狭いもので、それ故、経済原理の最先端にある商業ビルの外観はサイン以外はそれほど重要なエレメントとしては扱う事はレアケース。実際に訪れたことのあるショッピングセンターのトイレの様子は覚えていても、外観はサイン以外全く覚えていないこと良くあることだと思います。つまり外観等「どうでもいい」事柄として処理してもそもそも知覚が難しいだけに明確に否定も肯定も根本的には難しいのです。

同様のことはもっとモニュメンタルな建物でも起こりうる。例えば「繭」をメタファーにした建築を、技術の粋を尽くして可能にしたとする。
フォルム優先でGRCでも、繊維感を優先してフレームをランダムにして鉄骨の籠に囲まれたようなものでも。具現可できれば確かに巨視的には繭形なんだけれど、いざ空間を体験すると、それはコンクリートであり鉄の固まりでしかなくなってしまう訳です。[非]建築の方からすると「なんか面白い形の建物できたな・・・」とか言われてしまう。

少しネガティブな書き方をしましたけど、この状況はある一定以上の大きさの空間を作る必要に迫られている我々にとっては、多かれ少なかれ感じるジレンマなのです。我々のような小規模の案件を扱う事務所でさえ,毎回この壁にぶつかります。
SDレビューはこの乖離を最終的にできるだけ少なくするのか、新たな価値に昇華させるのかは別にして、そこに唯一の形を与えた執念が垣間見える良い展覧会。
少しぐったりとした気分で会場を後にしましたが、天気も良い代官山の街を歩いてカフェラテ飲んだら気分上々でした。
これもまた、環境や空間の持つ真実の一つ。

この乖離をそもそも発生させないために、設計上の決定のプロセスに集合知を利用する試みも行われてきています。そもそも最初にコンセプトモデル等提示しなければ結果との乖離も発生しない訳で、これは実際かなりコペルニクス的な発想です。新しい聖域。これもまた、真実。