事務所に届いたカーサブルータスは住宅案内。
TNAの軽井沢の作品はまさに幽玄。夜の写真の方がいいんじゃないかなと思った。家具が惜しい…。
物づくりに関わらない人でも「侘び・寂び」というのはよく使う言葉。
明石散人説によれば「幽玄・侘び・寂び」は1setの言葉で「無垢な美しさ」「経年変化の様」「なれの果て」(=誕生/成長/死後)という連続性のある言葉。氏の本では利休と秀吉にも触れてあって、利休の侘びに対して秀吉の幽玄の優位性を解くのだが、ここは物語と思うにしても、「幽玄の表現とは時間の固定である」という説明には納得だ。
いとも簡単に時間を止めることができる写真という表現手法に、我々は相当に影響を受けている。
産み出した瞬間に「侘び・寂び」だなんていうデザインも「時間が経ってにじみ出る味わい」を写真的に切り取っているに過ぎない。
目の前に沢山ある金属のエイジングサンプルを見ながらそんな事を考えてみる。
しかし、見事に都市性のない住宅ばかり。建築家ってやつは・・・(苦笑)。コンテクスチュアリズムは便利だから都市との関連についてどんな建物でも説明はついてしまうのだけれどちょっと苦しい?住める彫刻としての価値というのはほんとはもっと評価されるべきだ。どちらにせよ発生する与件昇華のストーリーが個々に違うのはあたり前なのだから、その先にあるもっと普遍的な未来を見てみたいと思う。
そんな中、長谷川豪氏の住宅は光る。理由はシンプルで、コピー可能な原型/スクリプトとしての価値があるから。
模型1000個の下りは相当に蛇足だけれど。
