外観のデザイン監修と、1階共用部分の設計を行いました「イニシア横濱鶴見」が竣工しました。

北陸紀行

Category: NOTEBOOK — Posted by SA at March 10, 2010

土日の弾丸ツアー社員旅行?で福井から金沢へ。

・まずは福井工科大学へ。OBの川島氏が教授をされている。アスプルンドの研究の第一人者でTOTO出版からきれいな写真集も出されてますね。
川島さんが旧校舎の内部をリノベーションした学科を拝見。学部生からこんなスペースの与えられてるデザイン学校ないよなあ..というクールなスタジオ。こういう積み重ねが将来を産むのだろう。

アスプルンドの研究というのは正直学生の時には反応できなかった。実務に携わって、別荘等を手がけるうちに建築の基本要素_床/壁/天井/建具/等々_というエレメントをいかに詰めていく必要性を感じてから初めてそのすごさが解る。

コンテンポラリーな建築論からは亜流かもしれないけれど、突き詰めればいわゆる建築の良さとかは1枚の建具にだって込める事はできる。

・夜は福井で日本海の海の幸堪能・・・ノドグロ煮付け美味すぎる・・・。ここ10年で一番呑んだと川島氏に言わせるくらい呑む。日本酒はすごい。

・翌日は隈研吾さんの開花亭、槇文彦さんの県立図書館を見てから金沢へ。

・21C美術館のオラファーエリアソン(これが旅のメインの目的だったのだが)を見る。
 建築やらインテリアやらの「デザイン」と「アート」をひっくるめて社会に溶かしてくれそうな世界。時代が待ち望んでたスーパースターの出現。
 非美術・非建築の(らしく見える)人々でこれほど賑わう美術展は古典以外では見た事がない。

・アスプルンド、槇事務所、sanaa、の順序で建築を認識するのは正直厳しかった。
21C美術館は再訪だが、前回よりとても好印象だったのはもちろん展示との相乗効果だろうし、その点はコンセプト通りなのだが、物質の密度や重力から逃れられない地球の建築の性を否定することは難しい。

・その流れの中、隈氏の作品のみ別の文脈だった。圧倒的に軽い。石を使おうが、無垢材を使おうが関係なく、軽い。違う重力で生きてるのかもしれない。そこに幻想を共感できるのが故、商業のクライアントが引く手数多なのかもしれない。

・アバターを想い出した。青い人・・・。

archibau賞:講評

Category: NOTEBOOK — Posted by SA at February 23, 2010

大学のOB会組織による学生の卒業設計の審査があった。
OBの出自もいろいろなので、学内の選考とは勿論違いがでるところが面白さではないかと思う。
1分+5分プレゼンというやり方は、すごくせわしない評価になってしまったし運営としての反省点も多い。
なにはともあれ、学生さん/OBの方々お疲れさまでした。
私はOB会理事なので、ここまではオフィシャルな立場で。

以下はデザイナーとしての「俺的」感想。よって組織とはなんの関係もないと思って下さい。

評価サイドの問題として
・評価の軸となるクライテリアがない
・応募要項に「何を評価するのか」という明確な問題提起がない
・特定の人間しか質疑しない(これは途中でやめるようにしましたけど)
・質疑に依る誘導もある。これだったらOBの個人賞とかのがいいんじゃないか?
・部門賞もいいかな。構造賞とかデベロッパー賞とかシステム賞とか。

審査結果は民主的集計結果なので、もちろん校正だけれど、社会的バリューから見ると「相当に意外」だった。

学生サイドの問題として
・評価者が民間の実務者だということを忘れてない?そこにささる内容をプレゼしないとダメ。
・1分プレゼンで伝えられる事はぶっちゃけ「メイン1言+裏付け3コンテンツ」ぐらいしか無理。詰め込み過ぎ。キャッチがないと記憶に残らない。
・「それは次のプレゼで・・・」とか言わない。次ないかもしれないんだから、さっさと回答する。
・投げやりにやらない。実際にはあら探ししてるわけじゃなくて、会話の中で「いいとこ探し」をしてるのだから。優位性のみを端的に伝えればいい。

個々の案への感想。
質疑聞きながらメモした内容ほぼそのままなので、ラフですいませんが。なにかに生きると良いです。

・竹内さん
成長の受け皿が書架であることのみでは少し弱いか?
苗木、畑、収穫祭などに言及するならランドスケープとの連携で成長過程を空間に取り込むような工夫を求む。内装での成長のプレゼンも可能だったかな。

・山田さん
オーバルプランの集合は良さげに見えたが、ちゃんと認識できなかった。
システム論としての食育都市は、今現在、禅思想/マクロビオティック/なんかがこれだけ浸透している現状で、土壌自体や流通のロジスティクス、等に言及しないのは不自然。範囲が狭い感じ。

・木村さん
森林再生の為に、森に住む必要性をプレゼンして欲しかった。こちらも流通のコントロールのほうが実際的には母集団が大きいので効果的という一般常識を持つ前提で案を見ているので。むしろツリーハウスや形態から垣間見えたポティックさと実生活の感性的部分に価値があったように思う。
そのためには建築設計としてのツメが必要?このへんは学部の差なのかな?月並みですがNAPさんのダンシングツリー・シンギングバードを想起してしまった。

・斎藤さん
双方向の情報のための場所、というのがもう一歩すすまないとオリジナルなアイディアになりにくい。
「双方向・インタラクティウブ」というのは流行言葉みたいに使用されてしまうけど、一般的に建築形態を取る物は殆どがスタティックなもの。人間と建築をつなげるデバイスをうまく空間に取り入れないと。もしくはもっと吸引力のあるなにかアイコン。古典的な広場なんかの言語に隠されたエッセンスも有効かもしれない。

・平山さん
へんに有機的なデザイン処理をしないのは◎。単純なルールから発展する空間は一定の複雑さも持っている。テクスチャーの変化を利用して・・・ということだったので、そこをもっとしっかり見たかった。土をつかうとか・・。沢瀬学さんの仮設の版築プロジェクトや青森県立美術館のトレンチなんかは参考になるかも。地面に潜る感じもアリかと。

・河内さん
陶板が表札だけというのはもったいない。表札棚も実際に機能しそうにないし・・陶板けっこう重たいから持ち歩きたくないかも。素材を住民参加のエレメントとして利用して行く事例としてワークビジョンズ設計の岩見沢駅舎(今年度のグッドデザイン大賞受賞)がある。もっとそのエレメント=陶板がスプレッドしないと地場の産業を使っている感じはでないのではないだろうか?システムとしてもワークビジョンズの物件はウェブサイトとの連動が計られているけれど、特に地域的に不利な場所でもあるのでそういったアイディアでフィジビリティーを増す必要性を感じる。

・羽鳥さん
普通の集合住宅との違いが明確ではなかったかも。ガーデンと名打つからにはその独自性が求められるけど、見た事あるなあ、という印象。集合住宅として庭を重視した作品は沢山あるので、そことコミュニティーがちゃんとリンクしていることのオリジナリティーをプレゼンして欲しい。

・梶原さん
このアプローチは別荘の設計手法とほぼ同一だろう。その分、アプローチ、エントランス、ビュー、その帰りと細やかな視線制御が必要だし、今回はその他に3棟に分けた事で視線制御のパラメーターは難しさを増したはず。
その細やかさを伝えてほしかったのだが、幾分乱暴に見えた。それこそ「超線形プロセス」的な検証数から導かれる最終の結果としてのフレーミングを提示しては?

・海野さん
東京スタイルとしてサーフェイスとしての広告にフォーカスするのは、実際には価値の半分。広告の意味をしっかり考えれば東京の優位性としてのコンテンツの重層に気がつくだろう。内部空間はその点で意図的か偶然かどうかはともかく重層性がある。建築としてのフィジビティとしてはツッコミどころが満載だけれど、むしろ不動産としてのバリューが、従来のSCやテナントビルと比べても存在する事をしっかりと考察/調査してプレゼンすべきだったと思う。

・鈴木さん
デジタルデバイス=PCのみということはないと思うので、もっと現代のテクノロジーを積極的に用いて欲しかった。RFID、画像認識プログラム、マルチタッチ入力、etc…最もこの分野とリンクする建築プログラムだろう。大画面のメディアテーブルの上にいっぱい検索資料を広げてその上で作業するなんていうのはそのうち図書館のデフォルトになるだろうから。勿論その上にリアルな本やモックアップもあるイメージ。

・田島さん
正直講評が難しいケース。建築としてのきれいさと表現を持つ一方で既視感が強い。編集=設計であれば正解かもしれない。 ネーミング->問題提起から->なにゆえこの形を産み出したのかというプロセス、もしくは、この空間が実際に利用者の行動をどう喚起していくのかを丁寧にプレゼンしてほしい。
平田章久さんの”animated”論のように、結果として小さい土地面積に複雑な空間をもたらすバックボーンを持って臨めば都市論としても違う評価になるはず。

・勝浦さん
殆どのOBが実際の興味は、「どうやってこれ運搬して積むの、繋ぐの?」っていう技術的側面。予測してプレゼンしてほしかった。問題提起から仮設コンテナの利用迄の価値は10秒で理解できるので、残りの50秒をどうつかうか・・・。実際的な考察をしているのだから、そこのダイジェストを見せて欲しかった。都市的なスケールになるので、仮設といえども3原色が中心のカラースキームには疑問があるのでそのところも聞いてみたかった。

・福地さん
レアメタルの再生だとかよりも、携帯墓場としての彫刻性のバリューを見いだしたいところ。
場所の設定とかフォルムとか、そういった可能性ある形をしているのだけれど。。。良い意味でのフォルマリストとしての素養が見えるだけに、プレゼンが「再生の価値」「空間性」どっちつかずだったのが残念。ひたすらに形態をブラッシュアップして廃棄携帯へ対しての批評性が感じられる様な建築になればいいなと。「空間性」でいいきる設計は現代まったく評価されないらしいけど、解った上であえて正面突破という道も卒制としてはダメ?(じゃないよね)

・久保田さん
プログラムに破綻がない分、個性派ぞろいのなか埋もれてしまったかもしれない。
外部というよりはインテリアデザインとしての評価をしたいところなのだが、細やかな設計をしている割にティピカルなインテリアデザインであるのが悔やまれる。
プログラムに機能に添った解決なのだから、その機能をもった新しい形のインテリアの表現が必要。
普通に椅子/テーブル/棚/キッチンなど一度その機能を分解したうえで、再編集する新しい内部空間を見せた欲しい。

・内田さん
質の高いコミュニティーを持たせる為のコレクティブハウスの解法として、ランドリーとピロティーに着目をしたのはその土地に住んだからこそのアイディアで個人体験としてのリアリティを感じる。
一方シンガポールのバロック様式?(本当?)がソースとの建築自体は割と植民地化された南方のアジアでは良く見られる形態に見えてしまうのだが、軒の短さだったり、オープンデッキは暑くてどうなんだろうとかの疑問も。
また、都市住宅としてのもっと高密度化は避けられないようにも思うが・・・富裕層向けではなさそうだし。そういった現在のコンテクストを、現在の建築言語「も」取り入れながら建築にして欲しかった。未来の為には。

・内山さん
フォルムも表現も質が高い。惜しむらくは建築としてのフィジビリティがプレゼンされていない事。
このスケール感で集合住宅のファサードを成立させるためには、その裏側の計画をよほど旨くやらないと実現できそうにないのでは。書き割りっぽくみえてしまう。中間層に商業を挟んだりしても面白そう。

・伊藤さん
黒変態。エネルギーもあって興味はわく。こういった突き抜けた位相のアイディアはどうやって社会との接点をもさせたり価値を見いだすかという部分をもたない限りは評価軸にのりにくい。
建築も同じだけれど演劇によって何を表現したいのか・・・。プレゼ時間が短いので難しいかもしれないけれどシナリオライテイングがあれば、もっと良く理解できただろうと思う。

以上。

いくつかは、個人賞とかあげたいですね。

マルヤガーデンズ

Category: NOTEBOOK — Posted by SA at February 9, 2010

この4月に鹿児島にオープンする三越跡地「マルヤガーデンズ」。最新の日経アーキテクチャにも載っています。
建築の設計はみかんぐみさん。クリエイティブディレクションにナガオカケンメイさんとものすごく明確なベクトルをもった商業施設。
規模はそこそこですが、意味としてはエポックメイキングなプロジェクトになる予感(あくまで予感!)
弊社でも一つのテナントのデザインをしています。

館(百貨店なりSCだったりの箱をこう呼びます)のデザインなりディレクションがまっとうであれば、テナントのデザイナーにとっては館自身が優れたコンテクストとして成立するので、いろいろ情報を集めているものの、これが見事にない。正攻法でも情報得るのは難しいので、ネットをさまよったりツイッターで拾ったりもしているのだけれど…….ガードが固い。

商業テナントの殆どのケースでは、SCなり百貨店に入るテナントは共用部分からどのように浮き立つ=目立つかということに重きを置く。強烈なアイコンを配したり、領域設定のためのゲートを設けたり。それが「宣伝」ということになっているから。館の方では「なるべく内装デザイナーの自由度があがるように・・・」とは言うけれど、本質的にそのスタンスは百貨店としての責任を放棄しているように思う。百貨店、SCとも集合体という街区の価値がなければ自ずからその役割をインターネットに奪われていくことは仕方ない。プラットフォームとしての強さも、リスペクトされるべき思想もないのだから。

優れたウェブサイトのプラットフォームには、コンテンツは素直に従っていく。その結果さらに上質なコンテンツを呼び、プラットフォームの価値はさらに上がって行くことはwebの世界では良く見られるケース。

今回のマルヤガーデンズはプラットフォームが優れているに違いないという想定で、テナントのデザインも建築の文脈へ添う形にしたいと思っている。一テナントではあるけれど、ささやかな「館」への同期を目指しています。

しかし、ここまで固めたキャスティングなら、もっとちゃんとテナント設計者にも建築のオリエンをするなり、オリエンシートを作るなりは最低限すべきだと思う。もう少し成熟した百貨店にするためにも、その一手間が大切なんではないか。
例えば今回は共用部分のカラーコードとして[N-93]という色が指定されている。通常は[N-95]=真っ白 [N-90]=ほんの少しグレーを感じる白、のどちらかに設定するのが一般的だけどあえて[N-93]。
単体で見せられたらプロでもその色を言い当てるのは難しいくらいのストリクトな指定の理由や想いはあるのだろうけど、結果としての[N-93]のみではどんなに想像を逞しくしてもその根本の理解は難しい。
建築サイドにどこかで「テナント側はどうせ好き勝手にやりたいのだから・・・」っていう諦念があるとしたら、そこをもう一押ししてもらいたいと思う。将来の為に。

今回のケースが良い事例としてリアライズできるよう、もう時間の猶予もないけれど、せっせと情報収集につとめます。

幽玄・侘び・寂び

Category: NOTEBOOK — Posted by SA at January 20, 2010

事務所に届いたカーサブルータスは住宅案内。
TNAの軽井沢の作品はまさに幽玄。夜の写真の方がいいんじゃないかなと思った。家具が惜しい…。

物づくりに関わらない人でも「侘び・寂び」というのはよく使う言葉。
明石散人説によれば「幽玄・侘び・寂び」は1setの言葉で「無垢な美しさ」「経年変化の様」「なれの果て」(=誕生/成長/死後)という連続性のある言葉。氏の本では利休と秀吉にも触れてあって、利休の侘びに対して秀吉の幽玄の優位性を解くのだが、ここは物語と思うにしても、「幽玄の表現とは時間の固定である」という説明には納得だ。
いとも簡単に時間を止めることができる写真という表現手法に、我々は相当に影響を受けている。
産み出した瞬間に「侘び・寂び」だなんていうデザインも「時間が経ってにじみ出る味わい」を写真的に切り取っているに過ぎない。

目の前に沢山ある金属のエイジングサンプルを見ながらそんな事を考えてみる。

しかし、見事に都市性のない住宅ばかり。建築家ってやつは・・・(苦笑)。コンテクスチュアリズムは便利だから都市との関連についてどんな建物でも説明はついてしまうのだけれどちょっと苦しい?住める彫刻としての価値というのはほんとはもっと評価されるべきだ。どちらにせよ発生する与件昇華のストーリーが個々に違うのはあたり前なのだから、その先にあるもっと普遍的な未来を見てみたいと思う。

そんな中、長谷川豪氏の住宅は光る。理由はシンプルで、コピー可能な原型/スクリプトとしての価値があるから。
模型1000個の下りは相当に蛇足だけれど。

一年の計

Category: NOTEBOOK — Posted by SA at January 11, 2010

一年の計は…..ということで42.195kmを走る。
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nike+のスポーツバンドはipodが不要なのでいい。走ってる時に音はあんまり必要としない。靴の接地音は体のリズムだし、アンビエントの音も川沿いだと気持ちがいい。イヤホンの開放感の無さは爽快感に欠けるし、コードが作る不協音もストレス。何より危険。
しかしスポーツバンドとnike+.comの画面のキロ数が微妙に一致しないのは何故?特に不自由はないけれど。

多摩川沿いは天気も良く風もおだやかで走り易いものの。
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30kmから極端にペースダウン。30kmの壁というものはホントにあるらしく、脚が動かない・・・。これではダメ。
「後半失速」が一年の計では困る。
ちゃんと計画をたてて継続してトレーニングしないと。 <– これが本当の「一年の計は・・・」の意味。思い知らされる。

マラソンにかぎらずスポーツというものは仕事と相似形を描く。基礎的なトレーニングが重要だったり、自分が愉しいという次元から抜け出す迄相当壁が高かったり、運・不運がかなりあったり、それでも練習は継続しないと意味なくなってしまうところだったり。
音楽もそうかな?プレイヤーであったことがないので詳しくは解らないけれど、自分が演奏して愉しいというレベルから人を悦ばせる次元までは、相当に遠い。

我々は勿論マラソン2時間半とかで走れないので、仕事をがんばる訳だ。人の悦びの為に。

Come fly With Me!

Category: NOTEBOOK — Posted by SA at January 1, 2010

あけましておめでとうございます。
2010のトウキョウの元旦はとても気持ち良く、とても蒼く晴れています。

昨年末、書籍の片付けをしていたら岡崎京子がでてきた。評論もいくつか。switchとか。
だいたい読み直した。片付けは勿論途中だ。。。。

彼女の代表作、「リバーズ・エッジ」が描かれたのは1994年。もう16年も前の話。
あのころの「平坦な戦場」よりはずっと良い未来を我々は手にしているのだ、という実感は確かにある。
とりあえずは「生き延びている」し。

さらに良い未来へ。確かなベクトルを改めて認識して進もうと思う。
トウキョウという都市の幻想、過大評価を加速させてしまった我々は、その行く末にもなにかしらの責任を取らなければならないのだから。

スタッフさん、また一年、心新たに臨みましょう。
皆様、本年もよろしくおねがいいたします。

newyear2010